古地図にみる世田谷区・下北沢(江戸時代の絵図)その3・天保国絵図武蔵国

天保国絵図 武蔵国
天保国絵図・武蔵国

 天保(1838年)頃の「天保国絵図・武蔵国」から、下北沢エリアを拡大

 郡別に色分けされた楕円形の枠内には村名と石高が、四角で示された城下町には地名と城主の名前が記されています。下北沢周辺を拡大した部分は、灰色の楕円形で地名を確認でき、池尻、三宿、若林、下北沢、代田、松原、上北沢といった記述が読み取れます。灰色四角では、世田谷村という記述が読み取れます。

 全体像としては、現在の東京都と埼玉県である武蔵国の絵図(古地図)ですから、マクロな地図です。よって、各地域が詳細に描かれています。このため、陸地測量部が新たな地図作成のために、国絵図を模写したこともあり、明治維新後も実務に活用されていた古地図とのことです。

 なお、出典の画像は国立公文書館所蔵の地図である。


参考URL

絵図(江戸時代)・天保国絵図 −国立公文書館−

天保国絵図

 江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、全国規模で国ごとの地図が作成され、天保国絵図は、天保6年(1835)その作成が命じられ、同保9年(1838年)に完成。
 縮率・描法等は1里を6寸とする縮尺(約21,600分の1)で、山、川、道路等が描かれ、街道を挟む形で描かれている黒丸は一里塚の表示。郡別に色分けされた楕円形の枠内には村名と石高が、四角で示された城下町には地名と城主の名前が記載。各絵図の一隅には、郡ごとの色分け・石高(こくだか)・村数を列挙した凡例が記され、最後に国絵図の作成に関係した勘定奉行・勘定吟味役・目付の氏名が加えられている。