古地図にみる世田谷区・下北沢(江戸時代の絵図)その2・目黒筋御場絵図

文化・目黒筋御場絵図
文化・目黒筋御場絵図

文化・目黒筋御場絵図・武蔵国・荏原郡・世田谷

 文化(1805年)頃の「目黒筋御場絵図」、武蔵国荏原郡から、下北沢エリアを拡大

 すでに、詳細に紹介済「古地図にみる世田谷区・下北沢(目黒御場絵図)」ですが、この絵図が最も精密に描写されているものと思います。地名としては、下北沢(下北澤)、太子堂、若林、代田、池尻、三宿などが確認できます。赤く示された当時のランドマークは神社や寺院です。北沢八幡、森厳寺、代田八幡、円乗院などが記されています。
 甲州街道、世田谷通り、淡島通り、鎌倉通りなども、この絵図中に確認でき、三軒茶屋は中馬引沢という地名だったことが判ります。よく見るとわきに三軒茶屋との記載もあり、当時より呼称されていたものと推測されます(2枚目の画像です)。

 「目黒筋」と呼ばれた馬込・世田谷・麻布・品川一帯に設定された鷹場の地図だそうですが、鷹狩の為に、これだけ緻密な地図が必要だったのか不思議に思うほどの正確さで描かれています。文化7年以降、幕府が地誌の編集資料として昌平坂学問所に集めた書籍の一部として残っていたものということですので、こういった目的で編集し直されたのかもしれません。

 当時、1798年(寛政10年) 近藤重蔵らが蝦夷地探検 、1800年(寛政12年)伊能忠敬が蝦夷地を測量、1808年(文化05年)間宮林蔵らが樺太を探検している時代ですから、測量技術はそれなりに発達していたものと思われますが、約200年前の古地図とは思えないですね。

 さらに、鷹狩について調べると領地管理などの機能を担っていたことが判りました。「目黒の鷹狩」に詳しい説明があります。

 なお、出典画像は国立国会図書館ウェブサイトから転載したものである。


参考URL

鷹狩りで目黒・浜離宮をブラタモリ

 鷹狩りとは、飼いならした鷹を野山に放って、野生の鳥やうさぎなどを捕まえる狩りのことで、日本では5世紀頃から始まり、天皇や貴族など位の高い人だけが行っていた。しかし江戸時代になると、鷹狩りは将軍の娯楽を超え、副次的な意味を持つようになったといわれています(幕府の権威を示すこと、領地の巡視や擬似訓練を兼ねること、地域の開発規制などを通じた状況把握などの管理をしていたものとも考えられているようです)。
 ブラタモリの鷹狩については、「鷹狩りと鷹番」に個人ブログのようですがまとめがあります。

古地図閲覧・デジタルアーカイブのリンク集(武蔵国・荏原郡・世田谷と下北沢エリアに注目)

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