世田谷区・下北沢 地図情報

 下北沢という地名を古い地図に探しておりましたが、古地図は何を目的に何時、製作されたものか明らかでないものが少なくないので地図探しに難儀していたのですが、ようやく見つけることができました。それが以下の画像で、「目黒筋御場絵図」と呼ばれるものです。

 なお、使用した画像は国立国会図書館ウェブサイトから転載したものである。

目黒筋御場絵図(めぐろすじごじょうえず)・全体像の縮小版
目黒筋御場絵図 全体像の縮小版

 上記の画像は、目黒筋御場絵図(めぐろすじごじょうえず)と呼ばれている古地図(古絵図)です。1805年(文化2年)作成された江戸近郊に設定された幕府の御鷹場の地図で、文化7年以降に幕府が地誌の編集資料として昌平坂学問所に集めた書籍に捺された「編修地志備用典籍」の印があるものです。
 絵図の内容は「目黒筋」と呼ばれた馬込・世田谷・麻布・品川一帯に設定された鷹場の地図が描かれています。地図中の村名は、世田谷領は白に色分けされた楕円の中に書かれています。その他、御膳所・街道・寺社・大名屋敷等も記載されています。この全体像を縮小し、方位を見やすいよう北を上にしています。

 このように、時期が文化2年(1805年)と特定され、目的が幕府の御鷹場を示すものとして製作されたと明らかになっています。時期と目的がハッキリしていない地図はミスリードする可能性があるので、これが特定されているのは大変に貴重だといえます。
 更に年代も約200年前と古い地図なのに文字を読み取れるし色彩も綺麗です。特筆すべきは、描画の緻密さと精巧さです。後述しますが、現代の地図と比較・検証しても、その正確さに驚くほどです。この古地図だけでも現代の世田谷を探索することも可能なほどです(当時の鷹狩は、幕府の威光を示すことや、領地の巡視などの管理といった副次目的も兼ねていて大掛かりな規模で行われていたようです)。

 また、古地図は江戸城周囲や現在の山手線内側の範囲が記述されたものが多く、東京近郊というのか世田谷区辺りまで網羅したものを見つけるのは困難で(当時の世田谷区は近郊というか、都会とはいえない場所だったので)、その意味でも価値があるものといえます。なお、原図のサイズは畳6帖以上のサイズで大きなものです。

 この古地図(古絵図)を確認するため拡大したものが以下の二枚です。

 ちなみに、下の二枚の画像中の右上にある緑色の林野のように描かれている箇所が駒場野の鷹場です。

目黒筋御場絵図・世田谷区の世田谷と下北沢の周辺を拡大
目黒筋御場絵図 世田谷区の世田谷と下北沢のエリアを拡大

目黒筋御場絵図・下北沢とその周辺駅のエリアを拡大
目黒筋御場絵図・下北沢とその周辺駅(世田谷代田と新代田)のエリアを拡大

 上記の2枚の画像からは、下北沢(下北澤)のほか、代田、若林、池尻、三宿、太子堂、世田谷、弦巻、赤堤、松原、代田橋といった現在の地名が、そのまま確認できます。
 これだけでも、かなり緻密な感じがしますが、現代の地図にある地名や神社を当てはめてみると、その精巧さにビックリします。

目黒筋御場絵図・現代の地名などを記述
目黒筋御場絵図・現代の地名などを記述

 上記の画像は、目黒筋御場絵図に、現代の地名や存在する神社や寺、通りの名称を書き込んでみた画像です。かなり正確に描画されていることが判ると思います。鷹場に趣くためには、これほど詳細な地図が必要だったということなのでしょうか。あまりの緻密さに驚きます。更に、画像には、環七を黄緑色の線で、下北沢駅を二重丸で、その隣接駅(世田谷代田、新代田、東北沢、池ノ上)を星で示しています。古地図上のおおまかな位置にプロットしてから線でつないだわけですが尺度が歪んだ箇所もなく、現在の地図に重ねることも可能なのではと思うほどです。

 下北沢の周辺では、北沢八幡や森厳寺、淡島通り、鎌倉通り、茶沢通りなどが確認できます。これ以外にも三軒茶屋という呼称が当時より存在していたことも判ります(地名としては中馬引沢となっていますが古地図をよく見ると道のわきに注釈のように記載されています)。

 そのほか、代田の周辺では、代田八幡と円乗院、北沢用水(北沢川緑道)、後の環七の一部となる道、ダイタラ坊の足跡ともいわれる池が、豪徳寺周辺の神社や寺院も確認できます。
 また、道としては、世田谷通り、玉川通り、瀧坂道、菅原天神通り、松原大山通り、甲州街道、玉川上水(緑道)が確認できます。

 さらに、下北沢周辺に着目すれば、将来の南口商店街、あづま通り、一番街本通り、池ノ上北口商店街も確認でき、代沢三叉路や、庚申堂までも確認することが可能です。下北沢の南口商店街に何気なくある庚申堂は約200年前にも実在していたのではと思わせます。この庚申堂から小田急線の通称、地蔵踏み切りを渡り、環七に続く道も約200年前から存在していた道であることが確認できます。

 また、興味深いのは、代田という地名の由来とも言われる「ダイタラ坊」の窪地池(現在の守山小学校の裏手)までも古地図上に描画されていると思われることです(柳田國男全集に収められている『ダイタラ坊の足跡』に、その由来が書かれています)。
 宮崎駿さんの映画『もののけ姫』に登場する、でぃだらぼっち、で再び有名になりましたが、羽根木公園は昔、根津山と呼ばれ、その前には六郎次郎治という刀鍛冶がおり六郎次山とも呼ばれていました。ここが、映画の中のタタラ場であり、笹塚辺りには首塚があったとの説もあり、ここが映画のシシ神の首を返す場面というように、このエリアをモチーフにしていたのでは思われるような内容が古地図をつうじて連想されます。

 こういったことを調べるのは結構、面白いですね。もっと、より深く考察してみたいのですが現時点では資料もなくここまでです。約200年前の地図からも現在の場所を特定できるとはロマンのある話です。


参考URL

 上述のダイタラボッチについては参考URLを記しておきます。この絵図を見つけて調べるうちに同じことを調べている人がいることが判りました。よく見ると、そちらのほうが詳細に検証していましたのでお知らせしておきます。
 調査サブノート:ダイダラボッチ考 http://homepage3.nifty.com/baumdorf/KimuTaka/HalfMile/DaidaraBotti.htm

 絵図については国立公文書館デジタルアーカイブにて閲覧できます。
 目黒筋御場絵図デジタルアーカイブ http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000316