下北沢 賃貸 大堀産業株式会社

大堀産業株式会社 は 東京都世田谷区内 小田急小田原線沿線 京王井の頭線沿線 にて、 賃貸アパート 賃貸マンション 貸家 賃貸事業用 貸店舗 賃貸駐車場 月極駐車場 売買マンション物件 売買戸建て物件 売買土地物件 売買事業用物件 を取り扱っております。下北沢駅 より 徒歩8分です。 ご来店、お待ちしております。
古地図にみる世田谷区と下北沢エリア(昭和22年以降「昭和31年の地図と比較」)その2・1956年の地図

 昭和30年(1950年代)頃までの地図で地名の変遷を確認してきましたが、この年代以降は住居表示制が採用されるまで、あまり変更がないようです。

 昭和22年(1947年)に東京都23区制が採用された頃にも世田谷区はあまり変化がありませんでした。ただ、鉄道路線の沿線駅名などは、その時代にあわせて変遷がみられます。

 結論からいえば、昭和42年(1962年)頃に住居表示制に変更される際に、地名の変遷や、何丁目という区分に大きな違いが現れてきます。
 世田谷区の地名も住居表示に変更され丁目区分などは大幅に変更されていきます(昭和39年から順次実施し、昭和46年には全ての地域で実施されました)。

 よって、昭和39年以前の地図と、昭和47年以後の地図を比較すれば、町名変遷や丁目区分の変化を確認できます。昭和30年代前半と昭和50年前半の地図があると便利ですが、昭和47年以降の地図は現在の地図とあまり変わらないはずですから、昭和30年くらいの地図があれば、これと現在の地図を比較すれば確認できることとなります。

 そこで、地図を探してみたのですが、もっと便利なものがありましたので紹介します。

昭和の地図(昭和31年頃)

 昭和31年の地図を、現在の地図に重ねて確認できるツールが公開されています。東京23区を網羅していますので世田谷区ももちろん確認できます。地図上には、その場所の当時の写真が閲覧できるマークも示されており、写真も確認できるようになっています(枚数は少ないですが)。
 このツールには、昭和から現代の地図を変換するのが簡単でボタンをスクロールするように操作すると重ねて二枚を透かしたように見る事も可能になっています。

 下北沢エリアに地図をスクロールして確認すると、まずは、井の頭線の駒場東大前駅が駒場と東大前の二駅だったこと、そして、南北に環七が整備されたことが判ります。

 ただ、何丁目という区分までも確認できないのが残念なんですが、ここは現在の地図を開けば把握できますので比較してみましょう。

 その前に、ウィキペディアでも荏原郡や世田谷区の地名変遷がまとめられていますので参考にリンクを紹介しておきます。

荏原郡(えばらぐん、えはらのこおり) 武蔵国、のち東京府にかつて存在した郡
 町村制施行後の沿革と、郡域の変遷(市町村制)がまとめてあります。

世田谷区の町名
 明治22年(1889年)以前の旧村名(と市制町村制施行時点の大字名)が、昭和11年(1936年)の世田谷区の町名が対照表になっています。
 さらに、住居表示実施直前(1963年時点の町名)と、現在の現行町名が対照表になっています。

 この対照表にて地名変遷が整理されていますので簡単に把握できます。

1930年代の地名と、住居表示後の地名の対象表(画像はウィキペディアより抜粋)
1930年代の地名と、住居表示後の地名の対象表

 画像のように、住居表示制によって、梅丘と代沢という新たに独立した町名が誕生したことが判ります。とくに、それまでの、世田谷一〜五丁目は広域であったので、より細分化された印象です。
 また、この時期に、下代田町という町名もなくなります。なお、町名に変更がなくても、何町目という区分は細分化された地域がかなり多くあります。
 そして、周辺地域でも、千歳台という町名が新たに独立(廻沢町という地名がなくなる)したようです。そのほか、桜上水や駒沢公園といった地名も新たに独立した町名のようです。

 世田谷区では、昭和39年より、北沢一丁目〜五丁目・代沢一丁目〜五丁目辺りから順次に開始され、昭和46年までに、瀬田一丁目〜五丁目・祖師谷一丁目〜六丁目・玉川台一丁目〜二丁目・千歳台一丁目〜六丁目・用賀一丁目〜四丁目を完了し、未実施区域はないようです(7年という期間をもって実施しましたので過渡期に混乱はなかったのでしょうか)。

 簡単に、下北沢の周辺エリアの町名・区分をまとめてみます(現在の町名区分ベースでおおまかに整理しておくと)。

 現-北沢1・2・3・4・5丁目と代沢2丁目は、旧-北沢一丁目・二丁目から、分離および独立

 現-代田1・2・3・4・5・6丁目と代沢5丁目は、旧-代田一丁目・二丁目から、分離および独立

 現-代沢1・3・4丁目と北沢3丁目と(池尻4・三宿2)は、旧-下代田町(以後、町名がなくなる)から、分離および独立

 現-大原1・2丁目と羽根木1丁目は、旧-大原町より、分離

 現-羽根木2丁目と松原5丁目は、旧-羽根木町より、分離

 現-若林1・2・3・4・5丁目と梅丘3丁目と(世田谷4)は、旧-若林町から、分離および独立

 現-松原1・2・3・4・6丁目は、旧-松原町一丁目から四丁目より、分離

 現-梅ヶ丘1・2丁目と(世田谷1-4、赤堤1、弦巻5、豪徳寺1-2、上馬5、宮坂1-3、桜上水1、経堂1-5、桜丘1-5、上用賀6、船橋1、砧1-2、千歳台1、桜1-3)は、旧-世田谷一丁目から五丁目から、分離および独立

 以上のような具合です(一部、重複した町名・丁目区分がありますが簡潔に記すため省略しました)。

 かくして、かつて下北澤本村があったであろう北沢八幡の住居表示は代沢3丁目25番となったわけです。ちなみに、現在の北沢1丁目1番は、かつて新屋敷あるいは下北沢西山谷と呼ばれていたものと思われます。

 さらに、現在の地図に昔の航空写真を重ねて表示できるツールもありますので紹介しておきます。

goo地図(北沢八幡)

 普通にgoo地図を開けば良いだけです。住居表示を指定して地図を表示させてから、明治22年・明治38年の航空写真を地図に重ねて表示し閲覧できます。皇居周辺だとかは更に明治時代の地図も重ねて表示できるようです。

» 続きを読む

古地図にみる世田谷区と下北沢エリア(昭和22年以降の地図)その1・1947-1960年の地図

新区制東京全図
新区制東京全図1947

 昭和(1947年)頃の「新区制東京全図」から下北沢駅と周辺駅を拡大

 日本観光版本株式会社版本昭和22年発行の東京全図です(内容年代は昭和22年)。

 町名・丁目区分、路線駅名など、これまでと変化がない様子です(ただし、小田急線世田谷代田駅は1946年に代田中原駅から改称しているはずで、井の頭線新代田駅は1966年に代田二丁目駅から改称されます)。

新23区制世田谷区地図
新23区制世田谷区地図1949

新23区制世田谷区下北沢周辺1949

 昭和(1949年)頃の「東京都区分地図・世田谷区」から世田谷区および下北沢駅と周辺駅を拡大

 日本地勢社版本昭和24年発行の東京都区分地図うちの世田谷区地図です(内容年代は昭和24年)。

 町名・丁目区分は、これまでと同様にみられますが、なぜか、鎌倉通りとみられる道の幅員が太く記されており、当時の幅員を反映しているとは思えません。
 また、世田谷区役所とみられるマークが、これまでの地図で確認できる箇所よりも東側にずれているように思われます。

 なお、この時点で、小田急線・世田谷代田駅が現在の駅名として記載されるようになりました。

 比較するためコンサイス東京区分地図1951年(昭和26年)の画像をあわせて掲載しておきます(こちらの画像のほうが町界が色分けされて確認しやすいです)。
コンサイス東京区分地図1951(昭和26年)

東京都管内図
東京都管内図1950

 昭和(1950年)頃の「東京都管内図」から下北沢駅と周辺駅を拡大

 東京都建設局の東京都管内図です(内容年代は昭和25年)。

 東京都管内図なので世田谷区の町名まで確認できませし、路線の沿線駅名も省略されて描画されているようです。

 おそらく、河川の管理の為に作成された地図であろうと推測されます。用水についての細かい描画を確認できます。

模範東京全図
模範東京全図1955

 昭和(1955年)頃の「模範東京全図」から下北沢駅とその周辺駅を拡大

 株式会社和楽路屋版本昭和30年発行の模範東京全図です(内容年代は昭和30年)。

 町名や区分もこれまで同様です。画像からは、北沢一丁目、北沢二丁目、下代田町、大原町、代田一丁目、代田二丁目、羽根木町、若林町などが確認できます。

 小田急線・世田谷代田駅の名称は現在と同じ記載が、井の頭線・新代田駅の名称はいまだ代田二丁目と記載されています。また、井の頭線・駒場東大前駅の名称はなく、駒場と東大前の二駅に分かれて記載されています(これまでは、駒場と一高前となっていました)。

 比較するため、この模範東京全図の世田谷区地図と、同年代とみられる世田谷区の地図(昭和30年頃)の画像をあわせて掲載しておきます。
模範東京全図・世田谷区1955

昭和30年代とみられる世田谷区の地図

東京都市計画図世田谷区
東京都市計画図世田谷区1960

 昭和(1960年)頃の「東京都市計画図世田谷区」から下北沢駅周辺駅を拡大

 昭和35年の東京都都市計画図です(内容年代は昭和35年)。

 現在も整備されていない、補助54号線が描かれています。

 この年代までの地図を確認する限り、1933年(昭和8年)の地図以降から町名・何丁目区分に変遷がみられないと思われます。

 なお、出典の地図は国際日本文化研究センタ−所蔵である。

» 続きを読む