下北沢 賃貸 大堀産業株式会社

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古地図にみる世田谷区と下北沢(昭和初期の地図)その3・1930年代中後期の地図

模範新大東京全図
模範新大東京全図1934

 昭和(1934年)頃の「模範新大東京全圖」から下北沢付近を拡大

 文彰堂版本昭和9年版訂正第15版の大東京全図です(内容年代は昭和9年)。

 小田急線と井の頭線などを含め、現在の地図と比較しても比較しやすいほど変化しました。地名も、北沢一丁目、北沢二丁目、北沢三丁目、北沢四丁目、北沢五丁目、下代田町、代田一丁目、代田二丁目、大原町、羽根木町、松原町四丁目などが確認できます(いまだ、代沢という地名は確認できません)。
 道も(後の)、環七通り、茶沢通り、一番街商店街、鎌倉通り、代沢三叉路、池ノ上商店街、淡島通りであろう箇所を確認できます。
 また、現在の若林小学校辺りでしょうか、世田谷区役所があったことが判ります。

 なお、梅ヶ丘駅が昭和9年(1934年)に開業しているはずですが、いまだ地図上では確認できません。

大東京案内地図
大東京案内地図1935

 昭和(1935年)頃の「携帯用大東亰案内地圖東京日日新聞附録」から世田谷区・代田・下北沢付近を拡大

 東京日日新聞発行所版本昭和10年発行の携帯用大東京案内地図です(内容年代は昭和10年)。

 昭和10年となり、地名的には変遷がみられません(いまだ、代沢や梅ヶ丘という地名を確認できません)。
 画像からは、小田急線・梅ヶ丘駅が確認できるようになりました。この年代でも、世田谷代田駅は代田中原、新代田駅は代田二丁目と、駒場東大駅は無く、西駒場・東駒場と、記載されています。また、世田谷線の駅名も当時と現在では異なっていたようです。
 
番地入新大東京全図
番地入新大東京全図1936

 昭和(1936年)頃の「番地入新大東京全圖」から世田谷区・新代田・下北沢・代田の付近を拡大

 九段書房版本訂正14版の番地入新大東京全図です(内容年代は昭和11年)。

 昭和11年でも地名変遷に変化はないようです。ただ、画像からは、小田急線・梅ヶ丘駅がなぜか確認できません(開業しているはずですが)。
 興味深いのは、下北沢駅南側・池ノ上駅西側に、自動車マーケットなる記述があります(よく探すと1933年の地図でも確認できました)。フォードといった輸入車あるいはダットサンといった国産車が販売されていたのでしょうか調べましたが判りませんでした(すくなくとも、タクシーなど自動車が普通に道を走っている年代となったといえます)。

新制三十五区鮮明改正町名番地入大東京新地図
新制三十五区鮮明改正町名番地入大東京新地図1936

 昭和(1939年)頃の「大東京新地圖索引式ハンディ判」から世田谷区の新代田駅・下北沢駅・世田谷代田駅の付近を拡大

 龍王堂本店版本昭和14年版改訂第17版の新35区制改正町名番地入大東京地図です(内容年代は昭和14年)。

 昭和14年でも地名変遷に変化はないようです。画像からは、北沢一丁目、北沢二丁目、北沢三丁目、北沢四丁目、北沢五丁目、下代田(下代田町)、大原町、代田一丁目、代田二丁目、羽根木町、松原町四丁目、三宿町、太子堂町、若林町などの地名を確認できます(梅ヶ丘辺りは世田谷二丁目、代沢辺りは下代田であったことが判ります)。
 また、沿線駅名も、世田谷代田駅がいまだ代田中原と、新代田駅が代田二丁目でなく単に代田と、これまで東駒場とされた駅名が一校前と記載され、当時は駅名が替わることが少なくなかったように感じられます。

 なお、出典の地図は国際日本文化研究センタ−所蔵である。

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古地図にみる世田谷区と下北沢(昭和初期の地図)その2・1930年代中期の地図

 1932年(昭和7年)以降の地図は、東京市35区制以降ということもあり、1933年頃からの地図は地名がすっきりして現在の地名に近づいてきた印象です。ここで、地名の変遷をおおまかにまとめておきます。

・江戸時代の地名 〜武蔵国・荏原郡・下北澤村
 江戸末期、世田谷には42の村が存在していた。

・明治4年(1871年・廃藩置県) 〜東京府・荏原郡・下北沢村
 下北沢村は、東京府荏原郡に属した。

・明治22年(1889年・東京府管轄改正) 〜東京府・荏原郡・世田谷村・大字下北沢

 荏原郡の村は、4村(世田ヶ谷村・駒沢村・松沢村・玉川村)に統合された。
 複数村が合併したが、以前の村名はおおむね大字として残り、世田谷村には8つの大字があった(世田ヶ谷、下北沢、代田、経堂在家、若林、太子堂、三宿、池尻)。

・大正12年(1923年・一部郡制を廃止し町に昇格) 〜東京府・荏原郡・世田谷町・(大字)下北沢

 世田谷村から世田谷町へ名称が変更した。

・昭和7年(1932年・東京市新区制大東京35区) 〜東京市・世田谷区・世田谷町・北沢何町目

 東京市区域拡張(35区制)により東京市に所属し、世田谷町・駒沢町・玉川村・松沢村の2町2村で「世田谷区」が誕生(郡制廃止)。下北沢という地名も正式には存在しなくなる。

・昭和18年(1943年・東京都制下) 〜東京都・世田谷区・(世田谷町)・北沢何町目

 戦時下法により、東京府と東京市を廃止し、東京都が設置される。

・昭和22年(1947年・東京都23区制) 〜東京都・世田谷区・北沢何町目

 現在と同様の23区が成立する(世田谷区には変化があまりなかった)。

・昭和42年頃(1962年・住居表示制) 〜現在の住居表示(住所)と基本的に同様となる。

 世田谷区では、昭和39年から昭和46年にかけて全ての地域で実施された。

 以上のように、武蔵国・荏原郡、東京府・荏原郡、東京府・荏原郡・世田谷村、東京府・荏原郡・世田谷町、東京市・世田谷区・世田谷町、東京都・世田谷区の順に地名が変遷していることが判ります。


最新大東京交通名所
最新大東京交通名所1933

 昭和(1933年)頃の「最新大東京交通名所地圖」から世田谷区・下北沢付近を拡大

 アトラス社版本の大東京交通名所地図です(内容年代は昭和8年)。

 昭和7年の35区制により、地図上に何丁目という記載が読み取れるようになりました(この年代以降から丁目を確認でき、これまでの大字という記載が見られなくなった)。北澤一丁目・二丁目・三丁目・四丁目・五丁目が、下代田町が、代田一丁目・二丁目が、大原町が、羽根木町が、それぞれ確認できるほか、松原町、世田谷、若林町、太子堂町、池尻町などが確認できます。
 また、大字・字の記載だけでなく、大正時代に散見された山谷とつく地名と、新屋敷・薩摩という記載が見られなくなりました。

 なお、現在の下北沢成徳学園(1927年設立)が、成徳商女として記載されています。

 この年代から、下北沢という地名が正式名称ではなくなり、地図上でも確認できなくなりました。

最新調査新大東京市35区全図新市域交通明細
最新調査新大東京市35区全図新市域交通明細1933

 昭和(1933年)頃の「最新調査新大東京市三十五區全圖新編入區界明細新市域交通明細」から世田谷区・下北沢付近を拡大

 雄文館版本の東京市35区新市域交通明細図です(内容年代は昭和8年)。

 交通網を示す地図のため、地形描画がアバウトです。画像は北を上にしています。京王線、小田急線、玉川線、世田谷線が確認できますが、井の頭線は開通していません。駅名も、世田谷代田駅が世田谷中原、梅ヶ丘駅は存在せずと現在の沿線駅とは一致していません。
 また、世田谷区役所が当時は、現在の代田3丁目ないし若林5丁目あたりに存在していことが判ります。

昭和七年東京全図
昭和七年東京全図(昭和8・1933)

 昭和(1933年)頃の「昭和七年東京全図」から世田谷区・下北沢とその付近を拡大

 九段書房版本昭和8年版の東京全図です(内容年代は昭和8年)。

 地図上の地名が読み難いですが、北澤一丁目から五丁目、代田一丁目と二丁目、下代田町、大原町、羽根木町、若林町などを確認できます。
 面白いのは、後の環七となる道が描かれているだけでなく、将来の補助54号線とみられる道までも描画されていることです(むろん、この補助54号線は現在でも未だに開通しておりません)。昭和20年代頃に都市計画決定されるよりも以前に計画だけは既にあったようです(「優先整備路線」に事業決定されるのは、このずっと後である2004年ですから、70年前の地図に現在も存在しない道が予定されているわけです)。

 ちなみに、この後、1939年の東京府施行都市計画道路工事図(昭和14年1月発行)に都市計画道路の全体像を確認できます(どの程度まで現在の道路になっているのでしょうか)。以下が画像です。
東京府施行都市計画道路工事図(昭和14年1月発行)

新興大東京市制全図
新興大東京市制全図1934

 昭和(1934年)頃の「新興大東京市制全圖」から下北沢付近を拡大

 龍王堂本店版本改訂第11版の東京市全図です(内容年代は昭和9年)。

 小田急線(1927年開通)だけでなく、井の頭線(1933年開通)も記載されています(世田谷代田の駅名は世田谷中原、梅ヶ丘駅は存在せず、新代田の駅名は代田二丁目、駒場東大前駅が見当たらず西駒場・東駒場との記述になっています)。

 不思議なのは、北澤一丁目の記載が見当たらないことです(北澤二丁目・三丁目・四丁目・五丁目は記載している)。
 代田は未だ一丁目と二丁目しか存在しません。また、下代田町の記載も確認できます。このほか、周辺には大原町、松原町一丁目、羽根木町、世田谷二丁目、池尻町、三宿町、太子堂町などの地名を確認できます。

 なお、出典の地図は国際日本文化研究センタ−所蔵である。

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古地図にみる世田谷区と下北沢(昭和初期の地図)その1・1930年代初期の地図

大日本帝国陸地測量部東京近郊
大日本帝国陸地測量部東京近郊

 昭和(1927年)頃の「大日本帝国陸地測量部・東京近郊」から下北沢付近を拡大

 大日本帝国陸地測量部の東京近郊図です(内容年代は昭和2年)。

 昭和に入り、古地図も閲覧できる枚数が増えてきます。画像はマクロな地図なので多くの地名を確認できませんが、笹塚、代田橋、松原、赤堤、松澤、上北澤、下北澤、代田、竹ノ上、経堂在家、池尻、若林、三軒茶屋、世田ヶ谷町、世田ヶ谷新町、下馬引澤、上馬引澤などの地名が確認できます(現在の豪徳寺あたりに、竹ノ上という地名がみられます)。

番地入東京郊外地図
番地入東京郊外地図1931

 昭和(1931年)頃の「最新番地入東京郊外地圖」から世田谷区と下北沢周辺を拡大

 文彰堂書店の東京近郊地図です(内容年代は昭和6年)。

 ようやく小田急線(1927年開業)が開通して地図上で確認できるようになりました。下北沢駅が確認でき、現在の世田谷代田駅は世田谷中原という駅名だったことが判ります(当時、梅ヶ丘駅は存在しなかったようです)。また、世田谷線(1925年開業)も確認できます。
 いまだ、下北沢という地名での記述も確認でき(ただし、北沢本村とあるように下という文字がなくなっている箇所もあり)、下北沢のほか、大原、山谷、羽根木世田谷飛地、中原、下山谷、北沢本村、西山谷、代田本村、太子堂、三軒屋、若林、松原などの地名を画像から確認できます。
 また、町役場(後の世田谷区役所)が当時、代田本村ないし若林本村辺りにあったことが判ります。この年代の世田谷の中心が、このあたりだったことをうかがわせます。

東京市・隣接町村合併地図
東京市・隣接町村合併記念地図1932

 昭和(1932年)頃の「大東京最新明細地圖隣接町村合併記念地圖」から世田谷区と下北沢周辺を拡大

 東亰日日新聞発行所の東京市地図です(内容年代は昭和7年)。

 東京市域拡張により5郡82町村が東京市に編入されました(昭和7年の市域拡張)。これを記念して作成された地図のようです。

昭和7年の東京市・世田谷区の松沢村、世田谷町、駒沢町、玉川村
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 上記画像のように、東京市の世田谷区には2つの町(世田谷町・駒沢町)と2つの村(松沢村・玉川村)があったということです(現在の世田谷区の一部になります)。

 拡大した画像からは、世田谷町の文字が確認できます。このほか、下北澤、大山谷、野屋敷、新屋敷、下山谷、池ノ上、下北沢本村、西山谷、代田、代田本村、若林、大原、羽根木、羽根木通、飛羽根木、松原などの地名を確認できます。

 赤い文字が、新区制の地名と何丁目とかを記載していると思うのですが、後の環七となる道も赤線(更に将来の補助54号線までも)で描かれており、この時点を表すものか、どの時点の将来を表すものかが区別しにくいです。

 下北沢付近では、野屋敷・新屋敷という地名が確認できますが、薩摩という地名が確認できません。
 代田付近では、中原という地名が確認できません。

 昭和7年(1932年)、東京市は拡大し新区制が敷かれ(大東京35区である)、荏原郡の2町2村がまとめられて世田谷区が成立した時には、地名の下位区分も大字でなく、丁目をつけるようになったようですが、画像からは判別しにくいです。また、同年代の地図(下記画像)からも同様に、大字下北澤の記載があり、北澤何町目といった記載は見当たりません。

 ただ、史実的には、この昭和7年の新区制により、下北沢という地名が無くなり、北沢何丁目とかに変ったという理解が正しいように思います。

東京近郊地図(郡分町村地番入)
東京近郊地図(郡分町村地番入)1932

 昭和(1932年)頃の「東京近郊地圖 (郡分町村地番入圖)」から世田谷区の下北沢周辺を拡大

 丸善好文館の郡分町村地番入東京近郊地図です(内容年代は昭和7年)。

 東京市に編入される直前の地名を表している地図だと思います(昭和7年の新区制にて大字から丁目に変ったはずなので)。

 画像からは、大字下北澤の文字が読み取れます。下北沢付近では薩摩、下山谷、新屋敷、下北沢本村、西山谷が、代田付近では大原、中原、大字代田、代田本村、下代田、羽根木付近では、世田谷飛地羽根木、飛羽根木などが確認できます。

 下北沢という地名を正式名称として確認できる最後の年代の地図になると思われます。

東京近郊地図
東京近郊地図(昭和7)

 昭和(1932年)頃の「東京近郊地図」から下北沢の周辺を拡大

 版本不明ですが昭和7年頃の地図のようです。

 画像からは、世田ヶ谷町のほか、松沢町という記載が確認できます(松沢村と思われますが)。
 また、西北沢駅という駅名が記載されています(下北沢の間違いでしょう)。
 というように、やや間違いの多そうな地図です。

 なお、出典の地図は国際日本文化研究センタ−所蔵である。

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